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草津 > 石部




そのへんの おじさんおばさん ふりすれど
  われらは甲賀 忍者の子孫

 JR西日本草津駅に止まる、異様な草津線の電車。(失礼 m(_ _)m) かっこいい草津線の電車。う~ん、外国人よろこびそう。街道を歩いているときに、貨物列車が走っているのかと思いきや...。
 「忍者が乗ってるの??」 まさか。でも、大阪まで直通運転すれば、インバウンド効果もあって、収益増大間違いなし?? 「ご乗車、ありがとうございます。車掌は服部です。終点柘植までご案内いたします。」「やっぱり!!」(失礼 m(_ _)m)




横切りし 路地に戻って 覗き込む
  あれは何かな 伊勢大神楽

 う~ん、よく分かりません。「いきなり、何が??」...路地で見かけた方々。人物なので勝手に公開するのも問題だし出していませんが、何だったのかなって。
 「何かヒントなかったの?」...まったく。キーワードも浮かばない中で、かなり時間かけてネット上で探したんですが、伊勢大神楽、かな、って。
 住んでるところでは、まったく見ないし。何かやっておられるところを見たのでもなく、おうちの方と話されていたので、聞くのもちょっとって感じでしたので。近くに大きな荷車がありましたね。「歌じゃ、言い切ってるけど」




草津川 水も堤も 無くなりて
  車が流れ 橋架けまたぐ

 草津川の堤防の上の旧街道。草津川は、天井川だったので、洪水になった時の被害が甚大。で、新しい川筋に変更になり、旧の川はなくなりました。して、この川と交差する国道は、川も堤防も除去してスムーズに平面を通過。残った街道は、橋を架けて繋いだ、というところでしょうか。 歴史だね。
 写真中央にまっすぐの道が旧街道。橋の下が、国道。右が旧の川底で、その右向こうにあるのが、対岸の堤防かな。




草津川 堤防登れば 甲賀見ゆ
  山本霞む 忍者の里よ

 草津川の堤防の上。遠くに見える山の麓は、うすく霞んでます。さすが、忍者の里。他には見せず、他を寄せ付けず。「ホントにあっちが甲賀なの?」...えっ! う、歌、優先で。



馬よりも 牛よりでかい 自動車が
  騒がし脇に 養成所跡

 老牛馬養成所跡。昔、老廃牛馬の打ちはぎの様子を見て、残酷に思った庄屋さんがよびかけて、余生を静かに過ごさせる養成所を作ったそうな。えらい!
 まあ、歩いたときは結構自動車が通っていたので、雰囲気は感じませんでしたが、やはり、えらいですね。今は牛肉食ってますが、昔は人と馬と牛といっしょに、田畑耕して働いていた仲間だったので、そういう思いになるのでしょうかね。やはり、えらい!




この辺に 住んでいるのは 飛脚かな
  競合相手に 飛び出し坊や

 お~、飛び出し坊や! 昔の飛脚と言えば、今の宅急便屋さんかな。その車に対しての飛び出す姿勢! 負けん気強いですね。(失礼 m(_ _)m)
 手作りっぽいのがいいですね。単に、ここが危なそうだからと、設置されたのとは違い、作る段階からみんなで意識して相談して動いているようなところがいいですね。




狭き道 袖触り合いそに 自動車が
  譲りつ進む 目川の一里

 写真は一里塚の少し東。写真だけ見てたらのんびり旧街道って感じですが、結構、車の通行が多いですね。当然、振れないように、みなさん、譲り合って、ゆずりあっての通行ですが。



お寺の碑 名前を残す シーボルト
  ホントにここを 歩いてたんだ

 医者で植物学者の、シーボルト。その名前が刻んである碑が、善性寺の前に。写真はそこから少し東のもの。この道をシーボルトが実際に歩いていたとは。へ~、という感じ。
 植物学者として知られていた住職様を訪ねて、珍しい植物を見物したとか。シーボルト自身が書き残しているそうな。
 何でしょうね。東海道なので、明治天皇を初め、将軍、名だたる大名も行き来しているのに、そんなに何も響いてこない。外国人だからかな。鎖国下の江戸時代に、どんな姿で歩いていて、行き交う人々がどんな反応してたのかな。



この辺に 住んでいるのは 宇宙人
  地球に馴染む 飛び出し坊や

 よくある...、と思いきや、あまりというか見たことない飛び出し坊や。オリジナル作品?
 飛び出し坊やは、滋賀県発祥だそうなので、旧街道もオリジナルにとんだ飛び出し坊やが出てきそう。楽しみですね。



女酒 歌にも溺れし 将軍の
  歌碑立ち並ぶ 鈎の陣に

 足利9代将軍義尚が25歳で陣没した鈎の陣跡。正確にはここから少し離れた永正寺のあたりだとか。「そこは、寄ってないの?」 ...在陣1年半なので、実質的にここが日本の政治の中心:都だったってことなのかな。
 生まれた事自体が応仁の乱の遠因となった将軍。写真のほかにも、歌碑が並ぶ。歌碑は、天皇、前将軍、中納言など。慕われていた、というのもあるかも知れないけど、歌も非常に好きだったらしいので、歌仲間の送ったものというところでしょうか。「ねぇ、ねぇ、甲賀忍者に暗殺されたって本当?」 ...まあ、そういう話も。
 
 ながらへば 人の心も 見るべきに
  露の命ぞ はかなかりけり (足利義尚 辞世)
 
「後撰集にも似たのがあるね。」

 ながらへば 人の心も 見るべきに
  露の命ぞ かなしかりける (よみ人知らず)



これいいね 脚を止めさす 旧街道
  名所でもなき 旧家の町並み

 手原のあたり。旧街道っぽい町並み、いいですね。時間に追われている訳じゃないですが、結構な距離を歩くので、基本急ぎ足。でも、足が止まるこういう風景、いいですね。

街道に みせられるのは 江戸でなく
  子供の頃の 景色なのかな

 旧街道を歩く魅力は、江戸時代っぽいものが好きというよりは、たとえば格子とか、残っているその一部に、まだ子供のころにもあった古い風景の記憶を呼び起こさせるからでしょうか。そういう感じでいくと、世代が異なると、全然感じなくなるのでしょうかね。



本殿の 奥の稲荷の その奥に
  大きな大きな 蒸気機関車

 里中大明神。本殿にお詣り。その奥にお稲荷さんがあるので、遠くから失礼しますと、一礼。そのとき、その奥に、なにやら大きな黒い影!!
 じょ、じょ~、蒸気機関車!! な、なんで? ここ、全体が現代アート??
 JR草津線を走っていたんですね。長い間、おつかれさまでした。



どこまでも 続く家並 街道で
  休む口実 肩かえの松

 小野村、肩かえの松。草津と石部の間で、旅人足等がこの松の下で休憩をして、荷物を担う肩をかえたのだそうだ。
 この辺は、自動車もあまり通らないし、のんびりしていていい感じかな。



家並みが 切れて顔出す 近江富士
  しばし脚止む 一里塚かな

 六地蔵の一里塚のあたり。ず~っと続いていた家並みが切れたかと思うと、田んぼが広がり、近江富士が顔を出す。「さっきから、頭はみえてたけど?」...し、下向いてあるいてたから...。
 このあたり、超整備された旧街道に見えるけど、旧街道の横に2車線の歩道付の県道が走っているため。



天下をも 治めた徳川 家康の
  腹痛治めた 和中散かな

 徳川家康の腹痛をたちまちのうちに治したという薬:和中散。草津と石部の中間の六地蔵の一里塚の近くにあり。大きな屋敷で、奥には池泉式庭園もあるそうな。
 「この和中散は、まことよく効くのぅ」
 「殿!三方原の時に、あればよかったのに。」
 「うるさい! 黙れ!!」(失礼 m(_ _)m)



危ないで! 運転手より 子が先に
  見つけて言いそな 飛び出し坊や

 お待たせしました! 飛び出し坊やシリーズ、第3弾。「いつから、そんなシリーズ、始まったの?」
 いや~、飛び出し坊や、面白いですね。こういうのが、形として出来ている時点で、関係している人がかなり多くて、安全意識が高いということではないでしょうかね。



期待した 景色になれども 旧街道
  家なし人なし 道間違えた?

 な~んにも、なくなっちゃいましたね。ホント、この道でいいのやらどうやら



のんびりと 車窓に流れる 景色から
  見れば豪速 忍者の電車

 JR草津線ですが、乗ってる電車から外を見るスピード感と、歩いている横を通るスピード感って、全然違いますね。別物。



トラックの 道を外れて 旧街道
  わくわく石部 西縄手口

 少しの間、車がビュンビュン行き交う道の端を歩きましたが、ようやく、旧街道へ入る道を発見。ここは、石部の宿の西の入り口。どんな町並みなのでしょうか。楽しみ。



見渡して 一里塚見て 曲がれども
  今は下向き 地図見て進む

 石部の一里塚を越えると、すぐ右に曲がって、また左に曲がる。写真は、そのあたり。最初に曲がるところでは、まっすぐの道が、何か雰囲気が違う感がありましたが、地図で確認しました。



狭き道 低い家並み 古きよで
  昔はあらぬ 本陣碑のみ

 全盛期には216軒の商家、62軒の旅籠が並んだ石部宿。その中心、小島本陣は、案内板のみ。旧街道を歩いて満足していますが、どこまで雰囲気が残っているものやら。



行く古き 道に交差の くるまみち
  赤信号に どれほどか待つ

 石部宿。街道とたまに交差する新しい道。信号がついてても、当然新しい道の方がメインになりますね。

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