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垂井 >(垂井追分)

神器なき 天子なれども 里人に
八重垣神社。後光厳天皇が仮御所とされたところ。
神器なき天皇と言えば、後鳥羽天皇だけど、後光厳天皇も、そう。と、言うか、状況としては、もっと深刻!「....?」
正平一統で、神器を南朝に渡してしまい、破綻の際には、上皇と皇太子まで連れて行かれちゃった。
神器もなく、後鳥羽天皇の時のように院宣を出す人もなく、結局、継体天皇の故事に習う形で、廷臣に擁立されて即位された。
「でも、いいんじゃない。廷臣たちに推され、この里でも歓迎されたのならね。」 そうだね。国民の総意に基づいての即位だもんね。

お社も 祭りも勝負の さざれ石
八重垣神社のさざれ石。
八重垣神社のお祭り:垂井曳山祭りは、後光厳天皇を慰めようと、村人たちが花車を作って、引きまわしたことに始まるらしい。
天皇は、妙心寺に入る、つまり出家する予定だったんだけど、北朝で皇位につける人が誰もいなくなり、渋々即位を承諾。
続けて、南朝に攻められ、ここまで落ち延びてこられた。「それで、慰めってこと? みんな、いい人たちだね。」 しかも、ずっと続いているのがすごいよね。「しかも、最初は白木で作られていたものが、どんどん、進化しているみたいだし。」 まるで、さざれ石みたいだね。
争いが 無ければ御所に こもりきり
八重垣神社。
後光厳天皇は、疫病が流行すれば、一字三拝で般若心経を書写するなど、民のことを思いやる方だったようだね。
「それなら、余計に村人たちが、花車で慰めてくれて、すごく嬉しかっただろうね。」
争いが無ければ、こう言うことも体験できなかったっていうのは、皮肉だね。

初めての 影老けければ、年経ても
垂井の泉。
垂井の泉って、昔から有名だそうな。「昔って?」 聖武天皇の頃、奈良時代だね。「ま~た、結構、古いね。」 詠まれた歌も、多いようだね。
昔見し たる井の水は かはらねど
うつれる影ぞ 年をへにける (藤原隆経)
旅人も 葱洗う人も いなくなり
垂井の泉。
葱白く 洗いあげたる 寒さかな
(芭蕉)
「....で、やっぱり、寒いってこと?」 m(_ _)m。

関ヶ原 大谷刑部の 目となりて
垂井城跡。
関ヶ原の戦いのとき、大奮戦した大谷刑部。しかし、合戦の時点では病は重く、目も見えなかったとか。「じゃ~、刻々と移る戦況を、誰が見て、指示を出してたのかな?」
それが、垂井1万2千石の大名だった平塚為広と言われている。武勇に優れた剛の人であり、真義の人でもある。
合戦前に、大谷吉継とふたりで、勝算はないと石田三成を制止しようとしたとか。「なんとなく、負けると分っていても大谷吉継への真義で参戦したの?」
名も歌も 四百年の 時を超え
垂井城跡。
城跡碑の足元に、平塚為広の辞世の歌の碑がある。東軍と、小早川、西軍を裏切った諸将相手に、もうここまでと言う時に、吉継宛に送ったもの。
名のために 捨つる命は 惜しからじ
つひにとまらぬ 浮き世と思へば (平塚為広)
返歌は、
契りあらば 六の巷に まてしばし
おくれ先立つ 事はありとも (大谷吉継)
でも、返歌は届いてないだろうな、と言うか、辞世の歌を受け取った時点で、為広さんは、もうこの世には、いなかったんじゃないかな。涙(≧ω≦。)

経家が 止めてなくとも 間に合わず
南宮大社。
関ヶ原の戦い、毛利本体の陣は、南宮大社うしろの山の上。「ここなの? 関ヶ原から随分離れてるよね?」
そうだね。歩いてきた感じだと、別に吉川経家が無理に止めてなくても、間に合わなかったような気がするね。「関ヶ原までは、結構な上り坂だからね。でも....。」 でも?「今、歩いてきたみたいに、寄り道しないからね。」 ごもっともm(_ _)m。

もの忘る 無くす性には 神業も
南宮大社楼門。
ここの蛙股は、おもしろいね。見かけも、きれいだし。
「これは、何? 鶴に人が乗ってる....、鶴仙人?」 それ、見たままで、言ってるでしょ。
一、二世紀、中国の後漢の人、費長房、多分....、おそらく....。仙人になろうと修行した人。師匠の仙人からもらった護符で、鬼神を操り、様々に活躍するが、護符を失い、鬼神に殺されてしまう。「仙人級の人でも、もの、無くすんだ....。」

びっくりな 瓢箪からは 鹿が出て
南宮大社楼門。
「これは、何....、って、簡単かな! 瓢箪から鹿だね。」 駒だよ。馬!「鹿!」 馬!「鹿!」 ふたり合わせて、馬鹿じゃないの? こりゃ~、作者に、いっぱい食わされたね。m(_ _)m。

蛙股 爛柯の如く 足を止め
南宮大社楼門。
「これは、何? 将棋、いや、囲碁をさしているのかな?」
三、四世紀、中国は、晋のじだいのこと。木こりの王質が洞窟に入ると、囲碁、別称爛柯をしていたので、ついつい見入ってしまう。気がつくと、持っていた斧は、すでに朽ち果てており、急いで家に帰ると、数百年も時が経っており、知る人は誰もいなかった、という話が題材かな?
「大変‼︎ もう時間が…。」

高舞殿 行こうとしたら 蛙股
南宮大社高舞殿。
ここの蛙股、いいね。「十二支だね。分かりやすいし、子供でも楽しめそうだね。」自分の、干支を探したりしてね。

親孝行 放ったらかして 旅ばかり
南宮大社楼門。
「またまた、蛙股。反対側にも、あったんだね。…で、これは何? …って、わかった! 花咲か爺さん‼︎」
この白いのは、花じゃなくて、雪だよ。三世紀ごろ、中国に孟宗という人がいた。病の母が、筍を食べたいと言ったので、竹林に行ったが、冬なのでどこにもない。でも、一心に願ったら、思いが天に通じて、筍が生えてきた。それを母にたべさせると、病は治り、長生きできたそうな。
「親孝行だね。誰かさんと、大違いだね。」…誰?

想定の さらに上行き 度肝抜き
南宮大社楼門。
「これは誰?」紀元前、中国は周の時代の琴高仙人。龍の子をとってくると川に入り、約束の日に、鯉に乗って現れ、みんなをおどろかせたという。
「日本の話だと、そんな馬鹿な…だけど、中国なら、そんな人、現実にいたかもって思うね。不思議。」

髭撫でて 何もせぬのに 大殊勲
南宮大社楼門。
「これは…、誰?」う〜ん…、誰だろう??
わかった‼︎ 吉川経家‼︎ 「は〜?? 関ヶ原の戦いで、密かに東軍と通じ、東軍の背後に陣を構えた毛利本軍を何もさせず、動かさなかった人?」
違うかな? 「服装…、中国っぽいし…。」
でも、長束家正からの出陣の催促に対して、いま、弁当を食ってるからと言わしめた話の通り、お腹を出して、食った、食ったと、言う感じがよく出てるけど…。m(_ _)m。

勢力の 拡大狙った 代償は
金蓮寺。
足利春王丸と足利安王丸は、ここで殺害されたそうな。「春王丸と安王丸?」室町時代の4代目鎌倉公方足利持氏の子。何かにつけ、幕府に反発的だった鎌倉公方。永享の乱で、とうとう、滅ぼされてしまう。
で、残された持氏の遺児二人、結城氏朝に担がれて反乱。結城合戦。
しかし、結局幕府軍に敗れ、都へ護送される途中、この地で殺害されてしまう。

まだ十一 十三なれど なればこそ
金蓮寺。
足利春王丸と足利安王丸、十一歳と十三歳だったそうな。それぞれ、辞世の歌も、のこっているそうな。「なんとね、年齢だけ聞くと、とってもかわいそうな感じ。」
でも、幕府に対する反乱だからね。「親の仇を討つ、ってことなら、やっぱり、かわいそう。」
いやいや、親も、何もしなけりゃ鎌倉公方として、安泰だったのに、勢力拡大の欲を出すからだよ。「でも、その時の将軍は、かの強権政治を行った六代将軍義教だよ。」…、そ、そりゃ〜、幕府が悪い。m(_ _)m

どうするか 知らぬ土地にて 宿探し
旅籠 亀丸屋。
「う〜ん? こういう時って、どうするかなぁ。宿場の端から順に覗いていって…、かなぁ?」
そうだね。江戸時代も後半になると、旅籠の数も増えてきて、東海道だと約三千軒は、あったとか。ただし、強引な客引きをしたり、飯森り女を置いたり、一人旅の者を断ったりする旅籠もあり、結構、行商人なんかも、難渋したみたい。で、登場したのが、浪花講。「浪花講?」
街道の優良な旅籠に、指定した看板を掲げさせ、旅人にも所定の鑑札を渡して、旅籠で提示させるようにしたもの。「ほう、これだと、安心だね。でも、江戸時代から、こういうシステムって、あったんだ。すごいね。統一ブランド名の、フランチャイズの旅籠ってこと?」
ここ、亀丸屋さんも、浪花講指定の旅籠だったようだよ。しかも、1700年代の建物で、今なお営業を続けているそうな。「すごい‼︎」

半兵衛と 見れば長政 のりうつり
垂井駅前の像。
「垂井駅前の銅像、見なくても、誰だか分かるね。もちろん、竹中半兵衛…、えっ? この兜は…、もしかして…、黒田長政??」
そのとおり! 黒田長政が着用していた兜、銀箔押一の谷形兜(ぎんぱくおしいちのたになりかぶと)。 だ、け、れ、ど、? 「だけれど?」
この兜は、長政が、あるトラブルの仲直りの印として、相手と交換したもの。「えっ? それじゃ〜、元々は、誰が使っていたの?」
福島正則。「げっ? すると、この像は…。」 いやいや、正則が、こんなおだなかな顔は、してないだろ? 「失礼‼︎」 m(_ _)m。実は、その正則は、ある武将から、形見として、この兜をもらっている。「そ、それは、誰???」
それこそが、われらが軍師、竹中半兵衛!「そうだったの。じゃ〜、この像は、半兵衛さんで、合ってるんだね。なんか、運動場を三周くらいして帰って来たような気分だね。」
2022.03.24.:
垂井の宿場に入ってから、南宮大社に参拝して、中山道と美濃路の分岐点:垂井の追分まで、てくてく。
関ヶ原 > 垂井 |(垂井追分) > 赤坂
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