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亀山 > 園部




白銀に 青に黄金の 橋立や

 野橋立。
 利谷川には、保津川と合流する下流の土手に沿って、かつて松並木が続いていて、千本松と言われていたそうな。
 また、天橋立に対して、田の中に続く松並木を、野橋立とも呼んだとか。悲しいかな、50年前まではあったそうだけどね。でも、復活を目指して整備されているようだよ。
 「田の中の野橋立ね。それって、美しかったのかな?」 さ~、でも、想像だけだけど、雪の季節は白地に映えて、田に水を入れた季節は、まさに天橋立の如く、稲穂が垂れた季節は金色の海に浮かぶ如くだったのでは?「なるほど、これは美しそうだね。早く復活しないかな。」



今何か 「喝」と言われた ような気が

 聖隣寺(せいりんじ)。
 「達磨さまだね。インパクトあるね。」 そう、なんか、常に視線を感じて、落ち着いて見ていられない感じだね。「それは、心が、清く正しくないからじゃ?」 おいっ!


山門や 何やら狙われ てるような

 聖隣寺(せいりんじ)。
 はは~、なぜ落ち着かないか、分った。狭間だね。「狭間....?」
 そう、壁に穴が開いてるでしょ。鉄砲狭間。敵がお城に攻めてきた時に、お寺が砦にもなるように、造られているのだろうかね。


光秀の 城下に信長 供養塔

 聖隣寺(せいりんじ)。
 このお寺には、織田信長の供養塔があるそうな。「えっ、ここ亀岡:亀山って、信長を討った明智光秀の領地であり、ここから謀反の出陣をしたのでしょ? なんで、供養塔があるの?」
 山崎の合戦で光秀が倒れ、清洲会議で領地の処分が決められた際、亀山は、羽柴秀勝の領地となった。「秀勝って、羽柴秀吉の養子になっていた信長の四男の....?」そのとおり! 「なるほどね。お父さんの供養なんだ。」
 でもね。秀勝は、亀山城主になって三年後、十八歳の若さでなくなっている。「若すぎるね。供養は三年だけ?」
 でもね、でもね....。「....?」 今でも、毎年、六月の第一日曜日、信長公忌として、法要が営まれているそうね。「えらいね。ホント。」


親に子を しのぶ武人も 人なれば

 聖隣寺(せいりんじ)。
 このお寺は、小早川秀秋が亡くなった息子の供養に、毎年寄進を行ったお寺だそうな。「なんで突然、関ヶ原の合戦:裏切りの小早川秀秋?」
 小早川秀秋は、先の羽柴秀勝が亡くなった少し後で、亀山城主になっている。「そうなんだ。関ヶ原の合戦の後、跡継ぎが無くて改易された経緯からみると、なんともむ虚しい感じを受けるね。」
 でもね、七歳で元服後、六年くらい、ここを治めているところから見て、子供がいる年齢でも無いし....。「実子じゃなくて? う~ん、どんな物語があったのかね。」



地蔵さま お堂とみれば 毘沙門天

 聖隣寺の辻のお堂。
 お地蔵さまにしては、大きいと思いきや、兜跋毘沙門天。
 元々、ここから四キロほど北にある国分寺に祀られていたものを、明智光秀が亀山城に移し、その後、小早川秀秋がこのお寺の辻に移したそうな。「国の守護から、お城の守護、そして今は、下町の守護ね。」
 そうだね。きっと穏やかな顔をされているのかな?「いや~、やっぱり、毘沙門天さまは、毘沙門天さまじゃない?」



新天地 父の供養を し終われば

 宗堅寺。
 菅沼定房は、近江膳所から転封で、新天地、ここ亀山へ。父親の菩提を弔うために、久松寺を改修して、菩提寺宗堅寺とする。ここまでは、良かったが…。「よかったが?」
 跡を継いだ息子が、跡継ぎなく若くして亡くなり、無嗣改易。「なんかね〜。何とかならなかったんかね。」


戦には 負けても巨人の 骨を断ち

 宗堅寺。
 菅沼氏と言えば? 「う〜ん、全然分かんない。」 武田信玄が、狙撃されて亡くなったと言われている、城攻めで、その野田城を守っていたのが、菩提を弔ったお父さん、菅沼定盈(さだみつ)。「何とね。余計に改易は、酷いんじゃないの?」
 幕府もそう思ったのか、翌年には弟に対して、一万石で跡を継がせている。この際、兄弟にも分知しているので、結局、交代寄合の旗本として、父祖の地、野田で続くことになる。
 「それは、良かった。でも、お寺、折角菩提寺にしたのにね。」野田に移る時に、宗堅寺も、分かれて移転してるようだね。愛知県新城市の宗堅寺が、それ。「そうだったんだ。」



人生や 宝篋印塔 笠五つ

 称名寺の和泉式部の墓。
 拝んでいこう....、と、手を合わせたら....。「ど、どうしたの?」
 宝篋印塔だけど、笠が五重に積んであるし、これ、相輪、無いの??「こんなの、初めて見た!」 これ、どういう意味があるの?「えっ、誰に聞いているの?」


大枝山 幾野の道を 通りしも

 和泉式部の墓。
 「そうだったのか!」 何が?「小式部内侍に歌を送るのが、やけに早いと思っていたら、都から近い亀山にいたとは....。」そんなわけ、ないでしょ!
 
  大江山 いく野の道の 遠ければ
  まだぶみもみず 天橋立
    (小式部内侍)
 
  小式部内侍の歌は、母の和泉式部が代作しているのでは?という、中納言定頼の悪ふざけの発言に対して、即興で詠んだ歌。百人一首の一人でもある定頼ではあるが、あまりの見事さに返歌もできず、逃げ去ったとのこと。


供養より 願掛けられる 式部かな

 和泉式部の墓。
 このお墓、どうも同じ亀岡市内の東別院町小泉というところから、移されたらしい。かつて、称名寺が、火事で燃えてしまった際、火を消す水:泉を連想させるところから、ここに祀られたとか。
 「すごいね。お寺に願掛けられて。まあ、でも、燃え上がる恋多き和泉式部さんですから、いかがですかね? m(_ _)m」



東へも 西へもつかず 安泰で

 亀山城跡 前田玄以の話。
 「この人、亀山城主だったんだ。で、この方、家康にも、三成にもつかず、中立だったの? そんなこと、できるの?」 豊臣秀頼に対してのみ、忠実であったなら、罰しようはないね。関ヶ原は、豊臣家臣団内の戦だからね。
 「でも、五奉行の一人でしょ。三成と行動をともにしないの?」 五奉行といっても、東軍に立った浅野長政とかもいるからね。
 「は〜、そして関ヶ原後も、生き残っていたんだね。」 いきのこったとか、安泰とか、関係なく、豊臣家の忠臣として、ブレることのない、芯が強い、骨太の人だったんじゃないかな。


元僧侶 息子二人は キリシタン

 亀山城跡 前田玄以の話。
 今まで見た作品では、前田玄以って、ふらふらして印象薄かったり、性格の悪いイメージしかなかったんだけど、実際の人物は違うようだね。
 「息子たちは、キリシタンなの? 自分は元僧侶なのに?」 そうみたいだね。晩年は、キリシタンにも理解を示して、保護したりしているそうだよ。
 その代わり…。「その代わり?」 元僧侶として、僧侶を見る目はきびしかったとか。「分かるわ、それ。」



キリシタン 領主の町の 痕跡は

 亀山城跡 前田茂勝の話。
 前田玄以の息子は、キリシタン。「すごいね。亀山城って、今は、大本教の聖地だけど、かつて、ここに、キリシタン大名もいたなんて。」


放蕩の 限りを尽くす キリシタン

 亀山城跡 前田茂勝の話。
 キリシタンと言えば、敬虔な…、という感じがするんだけど…。「こういう人も、いたのね。」
 ただし、晩年は、悔い改めて、堅実なキリシタンの夫人と暮らしたそうだよ。勿論、改易された後だけどね。「遅すぎ…。」



石高は 大きからずも 天下普請

 亀山城跡 岡部長盛の話。
 石高は、わずか三万二千石だったけど、城の修復は、なんと…。「なんと?」 天下普請! 西国の大名総動員。縄張りは、築城の名人と言われた藤堂高虎。「す、すごい力入ってるね。ひょっとして、岡部長盛って、家康の子ども?」 そんなわけないでしょ! 「m(_ _)m。」


天下なる 老中も猫と 並べられ

 亀山城跡 井上正岑の話。
 この方は、寺社奉行の時に、亀山藩主となる。そして、若年寄に。たった五年で、常陸笠間へ転封。その後、老中へ。五代将軍綱吉の時代から、八代将軍吉宗の時代まで、老中を勤めている。
 「切れ者?」 新井白石が、残した記録によると、底意地の悪い人だったとか。「ひどい書かれようだね。」
 
 死んでも惜しくないもの
  鼠捕らぬ猫と 井上河内守
   (江戸市中の落書き)
 
 「えらい不人気だったんだね。これじゃ、領民は、大変だったんじゃない?」 多分大丈夫。これだけ幕府中枢の役職歴任してたら、江戸定府で、亀山には来てないんじゃないかな? 「なるへそ。」



ちさき豆 大納言へと 出世させ

 亀山城跡 青山忠重の話。
 御領内で、獲れる小豆が、とても良かったので…。「良かったので?」 それを知った殿様は、一石、上納させた。「一石も? またまた、わがままな殿様?」 いやいや…。「?」
 殿様は、その中から、さらに選りすぐったものを、将軍徳川綱吉に献上。「これって、出世のための…?」いやいや…。「?」
 この小豆、たちまち、幕府内で大評判となったそうな。そこで、今度は将軍が、その中から、さらに、さらに、選りすぐったものを、朝廷に献上。朝廷からも激賞され、大納言小豆と言われるブランドを確立したとか。「なんとね。いいね。農業振興政策だね。」


重税の 殿が突然 やってきて

 亀山城跡 松平信岑の話。
 亀山の西隣り、丹波篠山でのこと。江戸時代の四大飢饉のひとつ、享保の大飢饉の際、苦しむ領民に…。「領民に?」
 重税を課した。「ダ、ダメじゃん! 亀山のことではないけど、お隣の領民がかわいそうだよ。」 ところが…。「ところが?」
 領民の不満が高まり、要衝とされていた篠山を治めるのは無理と判断され、お隣、亀山の藩主と入れ替わり、転封を命じられた。「な、な、な、な…、そんなの、あり?」


2019.02.20.:
 亀山城見学。
2021.12.21.:
 JR馬堀駅から八木駅まで、てくてく。
2021.12.24.:
 JR八木駅から八木城跡に行ったあと、園部駅まで、てくてく。

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