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起 > 萩原

揖斐長良 大河であれど これはまた
木曽川に架かる濃尾大橋。
これまあ、すごく長い橋だね。揖斐川、長良川の橋も、大概だったけどね。
「渡った橋を調べたよ。新揖斐川橋は520m、長良大橋は385m、そしてこの濃尾大橋は777m。」 は〜、すごいね。

雪稜は いずれも神の 山に見え
濃尾大橋から見える雪稜。
地元の人にとっては、何でもない景色だけど…、いや〜、いいね、春なのに、雪をいただいてる山。「住んでるところには、そういう景色、無いからね。」
しかも、ひとつだけじゃなくて、幾つもあるのが、すごい。「名前、分かるのは、伊吹山だけでしょ?」 その通り!
「でも、この写真はすごいよね。」 じ~っと、見ていたら、山の稜線の上に、全体を覆うように、白い峰が見えて、感動するね。思わず、手を合わせて、拝んだりしてね。
「この山は分る?」 う~ん、御嶽山かな....。「御嶽山! すごいね。神の山だよ。」

ため息が 出るほど長く 先が見え
濃尾大橋。
なんか、おもしろいね、ここ。「何が?」
普通さ、先が見通せない状況に置かれると、すごく不安になるものだけど、ここ、かなり先まで正確に見通せるにも関わらず、元気、出ないよね。
「そうだね。いくら歩いても、景色変わらないし。本当に、前に進んでいるのかさえ、疑いたくなってくるね。」
もしここで 落ちたらどちらへ 行けばいい
濃尾大橋。
「おっ!」 何? なに?「ネットの情報によると、2013年夏に、この橋に併設されている歩道橋で、亀裂が見つかり、通行止めになったって。」
当然、もう解除されてるよね。「さ〜。」 おいっ!

伊吹山 美濃をまたいで 風は吹き
濃尾大橋と伊吹山。
もう、木曽川を渡って、尾張の国だよ。「随分、来たような気がするね。」 でも、振り返ったら、依然、伊吹山。伊吹山の山頂は、近江の国。「ぜんぜん、来てないような気がするね。」 どっやねん!
美濃遠し 尾張も遠し 昭和まで
濃尾大橋と伊吹山。
「…昭和までって、この橋は、昭和になってからできたの?」 そう!「…ってことは、それまで渡し船だったの?」 その通り。橋ができたのは、昭和三十一年。「昭和三十一年…。」
なんか、渡し船っていうと、江戸時代のものって感じだけどね。「七十歳以上の人であれば、直接渡し船の光景を見ている、あるいは利用したことがあるんだね。」

陸閘や 増水よりも マムシにと
陸閘(りっこう)。
「陸閘って?」 堤防を切って、河原への出入りをしやすくしたところ。もちろん、川の水が増えると、門を閉めて、堤防外への浸水を防ぐ。
「そうなると、日頃の注意が大事になるね。」 写真の案内板にも注意ってあるね。「なんて?」 マムシに注意って!「それは、違うでしょ!」

小窓から 木曽の大河や 伊吹山
陸閘(りっこう)。
陸閘から望む木曽川と伊吹山。「あの大きな伊吹山を中に入れて、こうして見ると、陸閘って、大きく頑丈に見えるね。」
額木曽川に、額伊吹、かな。葛飾北斎の尾州不二見原みたいだね。

渡し舟 金毘羅さんなら シュラシュシュ
起の渡しの金刀比羅社。
「渡し口の神社は、金刀比羅社。金毘羅さんなんだね。」 金毘羅さんと、言えば…。
金毘羅 ふねふね
おいてに 帆かけて
シュラシュシュシュ
これで、安心。あっと言う間に、対岸につく気がしてくるよね。「だれですか? 本殿に手を合わせて、御座敷遊びの唄を、唱えているひとは?」 m(_ _)m。
渡し跡 さすが木曽川 三箇所も
起の渡しの金刀比羅社。
起の渡しは、三箇所、あったらしいね。
ここは、一番上流の定渡場(じょうわたしば)。一般の人が使っていた渡場だね。
さすがわ、木曽川だね。渡しが三箇所もね。「この美濃路自体も、かなり交通量が、多かったってことだよね。」そうだよね。

移りゆく 時の荒波 地震越え
湊屋。
船問屋。江戸時代末に建てられて、築年数は、150年を越えるらしい。そして、長い年月が経っている以上に、明治の濃尾地震を乗り越えているのがすごい。
このあたりだと、地震による全壊、半壊した建物の比率は、九割を越えていると思う。「それは、貴重だよね。」
川幅が あっても銀杏の 大木で
宮河戸。
三つある、起の渡しの真ん中、宮河戸(みやごうど)。主に、荷物などを運んだそうな。「ここは、大きな銀杏の木があるんだね。」 対岸からも、はっきりした目印になったんじゃないかな。

なくなれば 未来永劫 勝てなくて
福島正則馬繋ぎの大杉。
宮河戸の大明神社。ここには、かつて…。「かつて?」
関ヶ原の戦いの際に、福島正則が、馬を繋いだという大杉が、あったそうな。有名だったらしい。「今は、何もなくなっているのに、言い伝えが残るっていうのが、すごいね。」
もう、想像の世界だけど、話だけ聞いたら、どれだけデカかったかって、おもうよね。

三つ目の 川の渡しは 船の橋
船橋河戸。
起の渡しの三つ目は、船橋河戸(ふなばしごうど)。名前の通り、船を繋いで固定して、その上に板をのせた。「船で渡ったんじゃなくて、橋を渡ったってこと?」
将軍や、朝鮮通信使が通る時に、設置したようだね。「でも、さっき、川、渡ったけど、とんでもなく長いよ? 船を縦に繋いだ?」
デコボコして、危ないでしょ。横に繋いだの。全長850メートル、270艘の船を繋ぎ、3000枚の板をのせたそうだよ。「よくそんなの、設置したね? 途中で、やっぱり、やめよかって、ならなかったかな?」 おいっ!
木曽川も 山々も皆 目が点に
船橋河戸。
船橋の様子は、浮世絵に残っているね。豊原国周の絵だね。多分、文久三年の将軍家茂が上洛した時の様子だとおもうよ。
「なに? これ? 船橋って、狭い幅の板の上を、一列になって、間隔あけて渡ったとばかり…。」
そうだよね。浮世絵では、中央をあけて、二列になり、よくイメージする大名行列そのままに、渡ってるよね。しかも、馬に乗ったままの人も。
「ホント、圧巻だね。なんか、木曽川に勝ったような気分になるね。」 何? それ?

学識の 高き主人の もてなしは
起宿本陣の碑。写真の左の石柱がそれ。
ここの本陣のご主人、加藤磯足は、国学者でもあり、俳人でもあったそうな。
「こういうのは、いいね。」 そうだね。碑しか残ってないのは寂しいけど、建物だけでも物たりないよね。
「昔のこと、たくさん知っていて、いろんな話ができる人と会えるのが、一番楽しいかな。」

山もなく 伽藍も大木 何もなく
聖徳寺跡。
ここが、ここが、斎藤道三と、織田信長が、会見した所なんだね。
「今は、碑と案内板だけなんだね。」 まぁ、四百年以上経ってるし、見渡す限り住宅地だから、お寺が無くなっていて、伽藍も大木も無いのはいいんだけど…。「何? なに?」
これまで見た映画やドラマの会見シーンから、山の麓にある大きなお寺ってイメージを持っていたんだけど…、山、無いね。「そだね。」
会見に 合わせ来たりて 去って行き
聖徳寺跡。
「…? これ…、誰のこと?」 お寺だよ。お寺自体。「お寺自体?」
そう、会見までにも何回か移転して、会見した後も、移転を繰り返して、今も名古屋市内にあるそうだよ。「なんとね。」
うつけがと 一番家来が 驚いて
聖徳寺跡。
「えっ? そうなの??」 へへ〜、うそだよ。家来でさえ、分かってないのかと。
この時の、信長は、まだまだ、大うつけ状態。尾張国内では、下四郡守護代の織田大和守家、上四郡守護代の織田伊勢守家、さらに、同族内では弟信勝と敵対しており、道三のように、信長の器を見抜いている人なんて、誰もいないんじゃないかな。柴田勝家さえ、この時期は、弟の陣営にいるからね。
「そうなんだ。と、言うことは、道三という人も、すごい人なんだね。」
槍揃え 鉄砲見れば 服などは
聖徳寺跡。
ドラマなどでは、信長の行列を隠れて見ていた斎藤道三が、通常よりも長い槍揃えや、てっぽうの数を見て驚いたり、汚い格好でやってきた信長が、正装して会見場に現れて出し抜かれたりしたことで、その器量を認める的な内容が多いよね。「すきだなぁ、このシーン。」
でも、実際は、何もなかったんだろうね。「なんで?」 だって、誰が見ても、おやっ?って、思うことなら、尾張国内の敵の殿や、ブレーンの家臣たちもきづくだろ? 「まぁ、そりゃそうだよね。こいつは、ちょっと違うって。」
結局、何もなく終わり、ただ、道三だけが、顔にも出さず、内心驚いていたのかと。
娘から 何も聞いては なかったか
聖徳寺跡。
「まぁ、単純に、そう、思うよね。」
濃姫「えっ? お父さん、言ってなかった?」
道三「魚が美味いとか、食いもんのことしか、言っとらん‼︎」
m(_ _)m。
2022.03.28.午後:
起から萩原まで、てくてく。
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