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今須 > 関ヶ原




街道から 名神くぐり 川渡り

 今須八幡神社の鳥居前。
 今須の宿。山里的な宿場の雰囲気で、いいね。「これ、下り坂になっているから、気持ち的にも、いい方向に影響しているんじゃない?」 そうだね。反対方向で上り坂で歩いていると、見える物も見えないかもね。
 で、宿場の神社なので、参拝していこうとしたら...。「したら?」 鳥居をくぐると、ほそ~い路地になり、名神高速道路の小さいトンネルをくぐり、川沿いの堤防を上がると...。「上がると?」 つづく。「おいっ!」


神域が 害獣よけと 重なりて

 今須八幡神社。
 害獣よけのフェンスが張ってあって、通ってもいいのかと? 「行ったの?」 そう。実は少し前に参拝されている人がいたので、ちょっと間をあけてついて行きました。
 まあ、でも、すごいね。神社の全体像が見えないし、単に山に向けて橋が架かっているだけのような。山も深そうだし。「害獣よけなくても、ひるむね。」 そう、ひとりじゃ無理。


祈る人 付き添い神も 西東

 今須八幡神社。
 祭神は、応神天皇と由緒板にはあるね。「八幡さんだから、京都の石清水八幡宮か、大分の宇佐八幡宮からの勧請?」 いいや、神奈川の鎌倉、今の極楽寺あたりの熊野三権現のひとつを勧請したそうな。
 「熊野権現って、応神天皇なの?」 う~ん、違うと思うけど、まぁ~、いいんじゃない。なんせ、創建された鎌倉時代から、土地の人に祀られて大事にされているんだから。



バランスを とって上り とって下り

 今須八幡神社の拝殿。
 「ここ、急だね」 山に向かってまっすぐに拝殿・本殿が続いているからね。「下りるの、どうするの?」 無理! っていうか、脇にも道があるので、そっちから行こうかな。「石段、苔で覆われてるけど。」


石段も 時の流れに 苔むして

 今須八幡神社。
 拝殿下の脇から、本殿を見上げたところだね。ここは、苔がいいね。石段に、灯篭とかまで、苔むしているね。まあ、川のそばだし、条件いいのかもね。
 「条件というより、年数経っているからじゃないの? 鎌倉時代からあるんでしょ?」 そう、1238年創建とあるね。土地の豪族木田重朝が鎌倉から勧請したそうだけど。「けど?」
 木田重朝は、承久の乱で京方について討死したような。「承久の乱って、1221年?」 そう、創建の17年前だね。「ほ~、いいね。それくらいの矛盾がないと、歴史の重みが感じられないものね。」 そうだね。



峠の宿 人、馬継ぎたて 賑わいて

 問屋場:山崎家。やって来た西の方を臨む。
 現在、岐阜県下にある中山道十六の宿場の中で、問屋場が当時のままの姿で残っているのは、ここだけだそうな。「貴重なんだね。」
 宿場全体は、の~んびり感いっぱいだけど、この今須の宿場には七軒もの問屋場があり、全国的にも珍しいことだったそうな。 「それは、なぜ?」
 ひとつは、宿場の西側は国境、東側も今須峠があり、人馬とも息をつく場が必要だったんじゃないかな。それと、中山道だけじゃなく、伊勢から米原の湊に抜ける九里半街道が重複していた区間だから、行き来する物量が多かったせいだろうね。「賑わっていたんだね。」



山門は コンクリ、レンガ 木製と

 妙応寺。
 「これ、山門? って、どれが山門?? 高さ制限がある山門って???」 一番奥のが、山門かな。その手前は、東海道本線。一番手前が、国道21号線だね。
 「なんかでも、面白いね。」 何ってことないかもしれないけど、なんか目を引かれるね。何枚も写真を撮ったけど...。「とったけど?」 参拝しないで、先に進んじゃった。m(_ _)m



地獄谷 巨人の足跡 あるならば

 妙応寺。
 「地獄谷に、巨人って、何?」 高僧がこの地に泊ったとき、夜中に2匹の鬼が老婆を串刺しにして食べているところを見たそうな。「げ~。」 その老婆は、この地の領主の亡き母親と分かり、領主共々供養を行ったところ、翌晩も鬼と老婆が現れたが、老婆は鬼に供物を捧げて許されたそうな。で、領主はこのお寺を建てとか。「強烈なお話だね。」
 「巨人は?」 この辺の山は、巨人が造ったとか。伊吹山と養老山を造り、そのときこぼれた土で南宮山ができたそうな。で、このお寺の裏山:たぶん写真の山には、その巨人の足跡があるんだとか。「あるの??」
 「山門が三重になっているのは、向こうからこっちに出てこれないようにじゃない? m(_ _)m」


天下人 腰掛石も 忘れはて

 妙応寺。
 「お寺の境内には、徳川家康の腰掛石があるとか、案内板に書いてあったけど?」 そう、そのとおり。見ていくつもりだったけど、三重の山門に、地獄谷と巨人の話で、すっかり、すっとんでしまったね。
 「家康さんも、もう少し離れたところで、腰掛けたらよかったのにね。m(_ _)m」



この次は チャリで来ようか 中山道

 今須宿。振り返っての写真。
 いいね~、自転車。ここから先、関ヶ原、垂井と、ず~っと下り坂だしね。この次は、自転車もいいかもね。
 「じゃ~、帰りは自転車にしたら?」 それ、この区間は、ず~っと、上りじゃないの?



踏切に トンネル跨いで 本殿へ

 青坂神社。
 この神社、すごいよ。鉄道ファン必見。「なに? 何?」 国道21号線の横断歩道を渡って、まず東海道本線下り線の歩行者踏切。「ほう、でも踏切渡って神社って、他にもあるよね。」
 で、渡ってすぐ左へ90度、線路と平行に参道が続き、右へ90度で拝殿。「それから?」
 拝殿の横をすり抜けて石段を登っていくと、東海道本線上り線のトンネル入口の真上。さらに登ると、本殿がある。「なんか、いろいろおもしろい写真が、間近で撮れそうだね。」
 上の写真は、本殿から帰る際、トンネルの上の石段を降りているところ。



夕焼けに 映えるだろうな 一里塚

 今須一里塚。
 写真は、来た道を振り返って見たところ。車が走ってない綺麗な道は、国道21号線。車がないのは、撮影の瞬間だけ。正面の集落は今須の町。
 「ここの一里塚、かっこいいね。」 そうだね。ただ...。「ただ?」 この一里塚は復元されたものらしいね。「そうなんだ。」 ネットで検索すると、もっと小さくてかわいらしい一里塚の写真もあったりするので、年を経て、それなりにかっこよくなってきたというところかな。「じゃ~、次に来るときは、もっといい感じになっているかもだね。」



上り坂 見落としそうな 旧街道

 今須峠への旧街道。
 写真右が国道21号線。左へ入っていく道が、旧中山道。「これ、案内の柱が建ってなかったら、見落としているよね。」 そう、道に気がついたときは、反対側を歩いていたので、横断するのに時間がかかったよ。さあ、この先、どんな景色があるのやら。



幕間を 抜けて次の 宿場へと

 今須峠。
 坂道は緩いけど、見た目でこの先、ちょっと躊躇するね。「二人連れ以上だと、盛り上がるんだけど、確かに、ひとりじゃ、ちょっとためらうよね。」 よし!息止めていくか!! 「なんで、息?」



鉄道は ちょっときつそな 峠道

 今須峠。
 横は、東海道本線の下り線。都市部で電車見ていても、何も感じないけど、このあたりで、貨物列車と見ていると、なんか、機関車トーマスじゃないけど、人格を感じるね。一生懸命、ちからいっぱい、頑張っているという感が伝わってくるような。
 街道の方は、とっても楽チン! 「東向いてあるいてるからじゃない?」 そうだね。ここから大阪湾までは遠いけど、伊勢湾までは近いからね。


峠口 見た目区切りの 一里塚

 今須峠からおりてきたところ。
 「この樹もいいね。」 ここから里、という感じ。峠と里を区切っているね。「この樹、名前、ついてないのかな?」



苦難しも 母への想い 背を押して

 常磐地蔵。
 義経を追いかけて旅する母:常盤御前、ここ山中で宿泊した際、盗賊に襲われて命を落とす。『義経はきっと都へ上る途中、ここを通るはず。そのときには、是非道端から見守ってあげたい』という遺言を残す。村人たちは哀れに思い、墓から近い街道沿いに地蔵を安置したそうな。しばらくして、平家追討のため弐万余騎を率いて上洛する義経がここを通り、母の冥福を祈ったという。
 「義経の晴れ姿を見て、母親は満足したろうね。また母の最期を知って、義経は奮い立っただろうね。物語になるね。ホント」


晴れ姿 見守りし後も 見てしまい

 常磐地蔵。
 義経は、快進撃を続けて、平家を滅亡させるが、兄頼朝と不仲となり、逆に追われる立場になってしまう。少人数で奥州へ落ち延びた際には、どうだろうか、ここを通っただろうかね。「常磐御前もつらいね。」
 常盤御前の産んだ子供は、阿野全成、義円、義経。みんな頼朝の弟であるけど、みんな殺されてしまっているね。阿野全成は兄頼朝の子頼家に、義円は平家との墨俣川の戦いで、そして義経は兄頼朝に。「ただただ子供たちのことを思っていた常盤御前、やっぱりつらいね。」



物語 夢幻の 境なく

 常磐御前の墓。写真の切れている下が墓。
 「ここにお墓があるとは、知らなかったね。」 まあ、常盤御前の墓は、ここの他にも、前橋、鹿児島、埼玉の飯能など、あるらしいね。「なんか、かなり広範囲に渡ってない?」 そうだね。歴史の深さを感じるね。
 子供の命を救うために、平清盛の妾となって...という、漠然とした知識も、どうやら史実じゃないようだね。「そうなの?」 源義朝の死後、一条長成に嫁いで子供を産んでるし、長成の縁戚で奥州藤原氏を頼ることができたそうな。「なんとね。」
 でも、真実はその時だけのものだけど、芸術や文学にあっては、時間を経るにしたがって、どんどん発展していくからね。「絵画や、歴史小説ひとつとってもそうだね。すごいね。」


芭蕉翁 歌心をも くすぐりて

 芭蕉句碑。
 常磐御前の墓の向かいに、芭蕉の句碑がある。
 
 義ともの 心に似たり 秋の風  (芭蕉)
 
 す、すごい!!...、でも...、数秒、数十秒経つと、よく分かんないね。だんだん分からなくなっていくのが、すごい。「何言ってるのやら...」
 まあ、芭蕉翁にかかわらず、誰しも滅び行く人への魅力って、感じるよね。「意味は分んないけど、共感しているね。」



ひと昔 前は茶店が 軒連ね

 鶯の滝。
 写真は、旧街道から撮ったもの。「山の中へ少し分け入ってとかじゃなく、中山道に面しているんだね。」
 今須峠を控えて、夏でも冷気が立ち上って涼しく、しかも年中鶯が鳴いていたということで、格好の休憩場所だったみたいだね。「名所だったようだね。」 酒屋、餅菓子屋、果物やなどが軒を連ねて賑やかだったようだよ。
 「年中、鶯が鳴いているっていうのがいいね。鶯の里だね。春になると、ここから鶯がやってくるとか。」
 いいイメージに浸っているところ申し訳ないけど。「なに? 何?」 ネットで調べてたら、別名『馬糞の滝』ってあったけど。「ば、ば、...」 まあ、名所になって、しかもイメージがいいし、峠の前後で人馬ともに休憩したら、そうなるような気もするね。「...、なんか、大自然の中の観光地で、よく聞くような問題と同じだね。」



黒血川 戦国よりも すさまじき

 黒血川。鶯の滝のすぐ近く。「イメージのギャップがきついね。」
 「黒血川...って、すさまじい名前だね。関ヶ原の合戦て、ホント、すごかったんだね。」 いやいや、関ヶ原の合戦じゃ、ないよ。「えっ?」
 壬申の乱の最初の衝突がここであったそうな。「壬申の乱?」 672年に起こった大海人皇子と大友皇子が戦った内乱だね。両軍あわせて6万。当時の人口からすると、100人に1人の割合で、この戦に参加していたそうな。「それも、すさまじいね。」
 川底の岩を黒く染めたことからの名前らしいね。「千数百年前の由来の名前が、よく残ってるね。」


2021.11.14.:午後
 今須から、関ヶ原まで、てくてく。

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