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昆陽 > 西宮




五百年 落城の時も 見てたのか

 法厳寺 大楠。
 「これまた、でかいね。大樹だね。」 そうだね。境内の奥にあるけど、目を引くね。見る角度によっちゃ、近隣のマンションとも張り合っているようにも見える。
 「樹齢、どれくらいなの?」 案内板には、推定五百年とあるね。「じゃ〜、有岡城の戦いの時には、すでにあったのかな?」
 凄まじい、生き証人だね。



北風の 小僧にしては 温そうな

 伊丹市中央。
 「おっ、北風小僧の寒太郎?」 …、なんか、違わない? アッちゃん、って、書いてあるし。「…、みたいだね。」
 アッちゃんは、伊丹市の安全安心施策推進班のキャラクター。「なんか、守りにしては、ユルそうな?」
 いやいや、アッちの後ろには、犯罪抑止、事件事故の早期解決、子供やお年寄りの見守りのためのカメラが、1200台整備されているそうな。「す、すごいね。」 ただ…。「ただ?」
 このアッちゃん、LINEのスタンプにもなってるんだけど、手が短くって頭がデカいから、手を上げての OK と NO のジェスチャーがほぼ同じで危険!「て、手が、頭の上まで、届かないんだね。こ、交差も、できないんだね。笑。」 まぁ、かわいいけど。笑。



村重も 女郎、歌人と 共々に

 墨染寺。
 「村重って、荒木村重?」 そう。突如、織田信長を裏切って、約一年半にも渡って抵抗し、最終的には西国の毛利氏を頼って落ち延びた、荒木村重だね。
 「女郎って?」 ここ、伊丹、荒木村重の居城、有岡城で仕えていた婦女子だね。有岡城落城時に、一ヶ所に集められて、焚殺させられた。「お、恐ろしいね。」
 「歌人って?」 東の芭蕉、西の鬼貫と言われた、上島鬼貫(うえしまおにつら)さん。「東の芭蕉、西の鬼貫…、どっかで、聞いたことあるような…。」
 ほら〜、東海道は土山の宿を越えたところに、歌碑があったでしょ。「あ〜、鬼やんね。」 何? その慣れなれしさ。


誰しのび 墨染色に 桜咲く

 墨染寺。
 「京都の伏見にも、同じ名前のお寺が、あったよね。」 そうだね。東海道五十七次で、歩いた時だね。
 「あっちは、関白藤原基経の喪に服するかのように、桜が墨染色に咲いたという話があったけど、こちらは、やはり、有岡城の戦い?」
 いやいや、有岡城落城後に、当時荒廃していた京都の墨染寺を、ここで再興したそうだよ。「なんと、京都のお寺が、ここで続いてるんだ。」



日もささぬ ビルの谷間に にょっぽりと

 三井横の鬼貫碑。
 にょっぽり、と、言えば…。「鬼貫さんの、代表作だね。」
 
 にょっぽりと 秋の空なる 富士の山
    (上島鬼貫)
 
 日本一高い山、圧倒的な大きさ、聖なる山…と、言うよりは、みんなが好きな山、愛されている山…って、感じが、この句からは、するね。「そうだね。にょっぽり、なんて、日本語の使用例、他にあるの?」
 しかしながら…。「どうしたの?」 この句碑の設置場所! なんかビルの通用口って感じだし、駐輪設備のすぐ横だし、名句に対する愛がないね。
 「まぁ、まぁ。わざわざ、句碑を、造られてるんだから。ところで。あの〜、この写真、なんで句碑の裏側なの?」 えっ? 「表側は?」 表側は、にょっぽりの句。「いやいや、その写真は?」 いやぁ〜、あの〜、こっち側が、表だと勘違いして…。「それこそ、名句に対して、愛がないね。」 m(_ _)m。



討ち入りは 無理とみたかな 歌心

 三井横の鬼貫碑。
 にょっぽりの句碑の奥には、ブック型の句碑。句碑には、句が二つ。作者は、上島鬼貫と、大高源吾。
 「おおたか…げんご…って、赤穂浪士の、大高源吾?」 そう。「と、友達だったの?」
 いや〜、それは分かんないけど、俳人同士、意気投合してたんじゃない? この時は、大高源吾が、ここ、この場所にあった鬼貫宅に、一泊してるみたいだね。「その時の句?」
 
 かく山を 引ツたてて咲 しをに哉
    (右側、大高源吾、俳号、子葉)
 
 月はなし 雨にて萩は しほれたり
    (左側、鬼貫)
 
 お互いの名前を入れた、挨拶程度のものみたいだけどね。源吾は、鬼貫を山に映える紫苑(しをに、鬼)に見立てているようだね。「社会的に名声を得て、輝いてるって感じかな。」
 一方、鬼貫は、源吾を、雨にしお(りよう、子葉)れた萩に例えてるのかな。「なんか、源吾さん、相当、疲れているように、みえていたのかな。」 時期的には、吉良の屋敷替えから、討ち入りの江戸急進派と、お家再興の上方漸進派が、対立していた頃だね。「元気出せよ、ってな感じ?」



最期なる 大きな旅しも 安上がり

 上田南嶺古城庵。
 安政五年に生まれ、昭和十八年に亡くなった日本画家、上田南嶺の庵のあったところ。「幾つもの時代を生き抜かれたんだね。」
 この庵の跡、誰もいないのかと思いきや…、庵の主が、お出迎え。「えっ、何? 誰かいるの? …、…、あ〜、猫くんね。かわいいね。」
 この先生、辞世の歌がいい。
 
 このたびは 汽車も電車も いらぬ旅
  ただ六文で 弥陀の浄土へ
    (上田南嶺)
 
 「は〜、なんか、旅行を楽しみにしているような境地で、最期を迎えられるのは、いいね、」



古城や どこへ行ったか きりぎりす

 荒村寺。
 鬼貫さんが、荒村寺を訪れた時の句。
 
 古城や 茨くろなる 蟋蟀
    (鬼貫)
 
 「いや〜、蟋蟀(きりぎりす)は、まだ、いるんじゃない?」 そうかなぁ。「まぁ、それよりも、どこへ行ったかなっていうのは、古城の方だね。」
 確かに。古城と言っても、どう見たって、起伏のある駅前の公園でしかないものね。「でも、馬出は、残っているよね。」 それは、単なるタクシー乗り場!



蘇州から 河一本で ベルギーへ

 伊丹駅前のカリヨン。
 「あれは、何?」 カリヨンの塔。「カリヨンって?」
 調律された鐘を鳴らす楽器かな。「あ〜、ハンドベル?」 そう、同じような感じだね。「ミュージックベル?」 そうそう。「福引きの鐘」 いやいや。
 このカリヨンは、伊丹市の国際姉妹都市である、ベルギーのハッセルト市から贈られたものだそうな。「川向うの池田市は、中国の蘇州だったけど、こちら伊丹市は、ベルギーなんだね。」


カリヨンを 鳴らすは今だ 秋の空

 伊丹駅前のカリヨン。
 「…と、言うことは…。」 えっ? 何?「聞いたこと、無いんだ。」 無い!
 「いつ、聞けるの? 毎時0分と、30分に聞けるとか?」 それ、やかましくない?「じゃ〜、毎日正午?」 それ、工場!
 調べてみると、年に十回程度、1時間くらいの演奏会があるようだね。あと、土曜日の17時頃に楽器調整のための演奏を行うことがあるみたい。「一度、聞きたいものだね。」 そうだね。



はかなくも 悲しい思い出 あるのかと

 白雪 若山牧水歌碑。
 おやっ、歌碑が、あるね。
 
 手を取らば 消えなむしら雪 はしけしや
  この白雪は わがこゝろ焼く  (牧水)
 
 「…、牧水って、若山牧水? へ〜、ここ、伊丹のひとだったの?」 いや〜、宮崎の人だよ。
 「じゃ〜、伊丹に住んでいた? 終焉の地が伊丹だった?」 いや〜、住んでいたのも、終焉の地も、沼津。沼津が好きだったようだよ。
 「う〜ん、恋人が伊丹にいた? 伊丹で悲恋の思い出があった?」 なんで、恋人とか、悲恋とか、でてくるの?
 「だって、この、はかなくも、熱い白雪の歌!」 あ〜、これ? 白雪って、写真の左奥にある酒樽のことだよ。「は~?」
 牧水さんは、大の酒好き。なんと、毎日一升は飲んでいたらしいよ。特に、白雪は、お気に入り。「だ、だ、だ、だまされた…。」



勘違い お酒を呑めば 名句がと

 長寿蔵ブルワリー。
 えっ、そうなの?「勘違いも、甚だしいよ。」 そうか〜、若山牧水の歌碑で、これだって悟ったんだけどね。
 でも、牧水さんの歌、調べたら、お酒の歌って、結構沢山詠んでいるね。「そうだね。呑みながらじゃなくて、シラフで聞いたら、何? それ? っていう感じ。」 まぁ、そうなるかな。



見渡せば 日本列島 みんな晴れ

 昆陽池公園。
 「ん〜? なんで、ここで見渡して、日本列島が、みんな晴れなんて分かるの?」 目の前に見えているのが、日本列島だから。「は〜? 意味不明?」
 目の前の、昆陽池に浮かぶ島は、形が日本列島になっているそうな。手前の平たいところじゃないよ。その向こう。一応、全景が入っているから、両端の森は池の外周部ね。
 島の左から、こんもりとしている順に、九州、四国、紀伊半島、東海、関東。「そうなんだ。でも、上から見ないと分からないのに、どうやって気づいたの?」
 ここは、伊丹空港から離陸した飛行機が、弧を描いて旋回する下にあるらしく、知る人ぞ知る、飛行機の機内からしか見れない名所になっているみたいだね。「へ〜、是非、ぜひ、見てみたいものだね。」



黙示録 日本列島 滅びしも

 昆陽池公園。
 「なに気色悪いこと書いてるの?」 いやいや、昆陽池の日本列島は、一度滅びているらしい。
 「えっ? こんな緑いっぱいの、鳥の楽園のようなところが?」 そう、その鳥さん、カワウの糞で、ほとんどの樹木が、枯れたそうな。「な、なんと…。」
 元々、昆陽池全体を都市公園として整備したときに、この日本列島は作られた。「そうなんだ。」
 最初は、ほとんど何も植えられてなかったんだけど、鳥が色々運んできて、鬱蒼とした森に。「まさに、鳥が育てて、滅ぼし?」 そうだね。人間目線で、いい状態で保つのは、大変みたいだね。



酒に酔い 池にも月にも いだかれて

 昆陽池公園 夏目甕麿歌碑。
 歌碑が、あるね。夏目甕麿さんだね。「どういう人?」
 江戸時代後期の国学者だね。「え、偉い先生なんだね。」 でも、親しみを感じるところもあるよ。「どういうとこ?」 酒好き。「なんだ、酒飲みのおっさんかいな。」 おいっ!「m(_ _)m。」
 歌碑にある歌は、
 
 遠つあふみ 入江の月の おもかけも
  思ひそ出る 昆陽の大池
 
 古郷の遠江を重ねての歌かな。「いいね。」 しかし、昆陽池で溺死されてる。「えっ? どうしたの? 事故?」
 遊んでいて、舟から月を取ろうとしたらしい。「え、猿猴捉月…、いやいや、失礼。不純な心は、ないと思う。」
 そうだね。お酒に酔ってたとすると、純粋に故郷の月に手を伸ばしてのことだから、哀愁を感じるね。



誰回す 昼寝の鴨を ゆっくりと

 昆陽池公園。
 鴨くん、気持ち良さそうに、寝ているね。「でも、なんか、ゆっくりと、自転しているけど?」
 流れがある?「鏡面みたいにしか、見えないけど?」 じゃ~、風、ある?「いやぁ~、あのへんだけ、吹いてるの?」
 でも、おもしろそうだね。昼寝から目覚めたら、どこにいるか...なんてね。楽しそうだね?「酔っ払いの誰かさんが、乗り過ごして目覚める時みたいだね。」 おいっ!



池の外 池の内でも ジョギングで

 昆陽池公園。
 「池の中でも...って、あ~、鴨くんたちね。」 ここは、いいね。広いし、小さい子を連れた家族も多いけど、ジョギングしている人も、鴨くんたちより多いね。
 あと、単に散歩している人。座っている人。「何? それ? 休憩している人?」
 それに、鳥さんを撮影している人も、結構いるね。おじさんだけじゃなくて、若い女性のカメラマンも。
 近所に住む人たちは、いいね。ホント。恵まれているよね。


ゆらゆらと 緑のオーロラ 鴨三羽

 昆陽池公園。
 ホント、いいね。
 昆陽池は、奈良時代に行基さんが造ったといわれるため池なんだけど、江戸時代に下池が埋め立てられ、昭和36年には残っていた上池も三分の一が埋め立てられたが、昭和43年にそれ以上の開発にストップをかけ、池全体を公園として整備したそうな。「ピンチだったんだね。よかったね。」
 ここにいてたら、あきないね。精神衛生上もいいね。西国街道から外れているけど、来てよかったかな。「想定以上だね。」



列島を 腹に浮かべて 昆陽の池

 昆陽池公園 鬼貫歌碑。
 「また、句碑があるね。」 鬼貫さんだね。「生まれ故郷だから、さすがに、多いね。」…って言うよりも、大事にされているよね。「ごもっとも。」
 
 月なくて 昼は霞むや 昆陽の池
    (上島鬼貫)
 
 昆陽池の雄大さを詠んだ句かな。「あ〜、それで、大きさ競争に、負けじと作ったのが、上のタイトルね。」



散歩する 人の視線に 引っ張られ

 昆陽池公園。
 「こ、れ、は、目を引くね。何?」 う〜ん、ナンキンハゼ、かな。公園とか、街路樹とかにも、よく使われるそうな。
 「じゃ〜、きっと、結構目にしてるんだね。」 目をひいたのは、この季節の色だから、かな。
 「伊丹だけに、お酒が入った赤ら顔?」 みんな、酒飲みに、みえてない?



飛行機に 破けそうなる 秋の空

 昆陽池公園。
 「飛行機の騒音のこと?」 そう。実感としたら、こんな感じ。見た目で言うと、上の写真。だけど…。「だけど?」
 現実の姿はと言うと、ほぼ、点。よくよく探さないと、見つからないね。しかも、どんどん高度を上げていくから、すぐに分かんなくなってしまう。
 「あっ、それで今日は、立ち止まることが多いのか。また、トイレをこらえているのかと。」 おいっ‼︎



飛行機に いつまでも手を ふり続け

 瑞ヶ池(ずがいけ) 母子像。
 「う〜ん、そのように言われたら、そのようにしか、見えないね。」
  でも、飛行機に手を振る格好じゃないでしょ。「なに自分で突っ込んでるの!」



かゆいとこ 猪名の笹原 とどかずに

 瑞ヶ池。
 この辺りが、猪名の笹原だったの? 猪名の笹原、と、言えば? 「猪名野の笹原と言えば…。」
 
 …、猪名の笹原 風吹けば
  いでそよ人を わすれやはする
    (作者 …。)
 
 「う〜ん、出だし、何だっけ?」 う〜ん、出てこないね。百人一首って、頭からだと、ほぼほぼ全部言えるけど、途中からだと、出てこないのが多いね。「たまらないね。この出てこない感触。」
 まぁ、ボケ防止のために、がんばって、思い出すようにしょう。


秋晴れに 猪名の笹原 寄り添いて

 瑞ヶ池。
 万葉の頃、この辺りで、詠まれた歌。
 
 しなが鳥 猪名野を来れば 有間山
  夕霧立ちぬ 宿は無くて
   (作者不詳)
 
 「むちゃ、寂しさ感満載だね。」 この辺りは、ススキ、ネザサが群集していたところだったようだね。「益々、寂しくなるね。」
 まぁ、でも、他には、ナデシコ、オミナエシ、ヒオウギ、キキョウなんかも、あったようだけど。「おっ、色が付いて、なんか、明るくなってきた。」
 じゃ〜、さらに…。「さらに?」


時下り 猪名の笹原 桜咲く

 瑞ヶ池。
 ここ、瑞ヶ池(ずがいけ)の南側は、笹原モデル園として、かつてのこの辺りの風景を再現しているんだけど、西側には、桜があるみたいだね。
 「ソメイヨシノ?」 そう、アメリカから里帰りした、ソメイヨシノ。「里帰り?」
 アメリカの桜って言うと…。「ワシントンのポトマック川の?」 そう、その東京都から贈られた桜、苗木は、ここ、伊丹で育てられたそうな。「なんとね。ますます、景色が、明るくなってきたね。」



浮かれ女と 言われる人が 暇もなく

 瑞ヶ池 和泉式部歌碑。
 あっ、またまた、歌碑があるよ。
 
 津の国の こやとも人を 言ふべきに
  ひまこそなけれ 葦の八重葺き
    (和泉式部)
 
 「恋多き天才歌人、和泉式部さんの歌だね。ここは、何か、関係あるの?」 よくは分かんないけど、後々の旦那さん、藤原保昌さんが摂津守もしていたから、一緒に来てたんじゃないかな。
 「この歌は、人目があって、葦の八重葺きの、ひま、すきまが、まったく無いのと同様、こっそり会える時間すらない、と言うような、やはり恋の歌?」
 どうかなぁ〜、個人的には、旦那さんの仕事関係の世話や、付き合いとか、裏方としての実務で忙しくって、友達とゆっくり会って、おしゃべりする時間もない、というような、恋多い頃とのギャップがある方が、面白いと思うんだけどな。「確かに、笑えるね。」



礎石とは 違うところに 目がいって

 伊丹廃寺。
 白鳳時代、八世紀はじめに、創建された、法隆寺と同じ伽藍配置を持つお寺。鎌倉時代の終わりくらいまでは、あったそうな。金堂と塔の基壇が復元されて、史跡公園になっている。
 「この基壇、すごいね。目を引くね。」 そうだね。普通は、基壇の上の方に目をやって、かつて、そこにあったものを想像すると思うんだけど、ここは、基壇自体に目が行くね。
 「よく見ると、手前の基壇と、向こうの基壇、違うね。」 手前が、金堂跡。向こうが、塔の跡。
 金堂は、瓦と栗石を交互に積む。塔の基壇は、瓦のみを積むかたち。「初めて見るね。」



世の中の 想定外を 背負い込み

 陸上自衛隊の伊丹駐屯地。
 白鳳時代創建、伊丹廃寺の道を挟んだ向かいには、戦車が…。「なんと…。」陸上自衛隊の伊丹駐屯地だね。
 「伊丹駐屯地と言えば…。」 そうだね。阪神淡路大震災のときに、救助活動を展開したところだね。「ここだったんだね。」 感謝だね。「ホント。」 ありがとうございます。



伊丹市も 負けじと日中 姉妹都市

 緑ケ丘公園。
 「あれっ? ここ、一度、来たような?」 それ、池田市の水月公園でしょ。「そう、そう。」
 これは、伊丹市の国際姉妹都市、中国の仏山市から贈られた賞月亭。「いいね。大きな池に、中国風のあずまや。」住んでるところには、こういうもの、無いからね。
 「それにしても、伊丹市って、短い距離の中で、大きな池を持つ公園が、並んでいて、いいね。」 しかも、緑の遊歩道で、繋がっているからね。


犬連れて 朝の散歩で 中国へ

 緑ケ丘公園。
 「お〜、それだけ聞いてたら、優雅だね。」 まぁね。近所の公園に、来られてるだけだけどね。
 でも、せっかくだから、もっと中国の雰囲気出すために、アレを、したらいいのにね。「アレって、ひょっとして…、太極拳?」 えっ、分かる?



遠征す 将軍にしも 大鹿と

 大鹿。
 この辺りの地名は、大鹿(おおじか)。「大きい鹿がいたから?」 な、な、なんで、分かるの? 「おいおい、漢字、そのままだけど。それだけ?」
 坂上田村麻呂が…。「もう、この方の名前が出てくるだけで、伝説的な、なんでもありの話になるような…。」
 いやいや、現実的。ここで、大きな鹿を弓矢で射止めたそうな。で、もっと、現実的に考えると…。「なるほど、東北まで、遠征に行ったほどの将軍が見て、大きかったって言うことは、相当な大きさだったっていうこと。」そう。
 ちなみに、地元の方は、おじか、とも、言うそうな。「…、おじか、って、小鹿?? 実は、ち、小さかったりして…。m(_ _)m。」



最後にと 思えばまだまだ 踏ん張れて

 お塚。
 昔、むかし、ここに、黄金の鶏を埋めたそうな。「黄金の鶏?」 村が、貧しくなった時に、それを使えと。
「そういうのがあると、いいね。」 そうだね。もう少し、頑張ろうなんて気になるよね。「あるいは、これは、自分らの代じゃなく、子どもたちのために、残さなければ、とか、踏ん張れる気がするね。」



特殊かな 思えばよくある 地名にて

 千僧。
 この辺りの地名は、千僧。せんぞ、と、読むそうな。「千人の僧?」
 そのとおりだね。昆陽池を通ってきたけど、昆陽池をはじめ、この辺りの幾つかのため池を造る際の犠牲者の供養を、千人の僧で行ったところから、きているらしいね。
 「…、そう言えば…、中山道の武佐の宿の手前にも、千僧供って地名、あったよね。」 そう、あそこも、千僧供養のために寄進された土地が、由来だったよね。
 でも、幕末には、千増村って、書いてあったり…。「何が沢山増えたんだろうね。」 地図には、先祖村に、なっていたり…。「最初にできた村?」 まぁ、色々揺れていて、難しいね。「面白いけどね。」



移ろうも 旅の安全 祈願して

 首切り地蔵。
 「く、首切り、地蔵?」 そう…と、言うか、そう呼ばれているみたいだね。で、実際に、きてみると、普通のお地蔵さま。「確かに。」
 なんでも、街道の抜け道になっていた小径から飛び出して、大名行列の前を横切った子供が、無礼討ちされたそうな。「なんとね、子供を。」
 その子供の霊を弔うために、このお地蔵さまを祀ったとのこと。「それで、そういうような名前に?」
 「でも、ここは、近衛さまの領地じゃなかったの? いくら無礼とは言え、子供とは言え、近衛さまの領民を…とはね。」 う〜ん、ここは、伊丹郷の微妙に外? 領外だったかも。
 今なら、飛び出しの交通事故供養みたいだね。「どうぞ、どうぞ、交通事故に、遇いませんように。」



歌心 そそる景色に 付きあえば

 稲野小学校前 能因法師歌碑。
 また、歌碑があるね。「今日は、文化の日だから?」
 
 芦のやの こやのわたりに 日は暮れぬ
  いづち行くらむ 駒にまかせて
    (能因法師)
 
 一見、日が暮れて、どうしよう、と、いう感じ。まわりも、その気持ちを、増幅させるような風景。「こまって、焦ってる?」
 いや〜、焦ってたら、まわりの風景は見えないし、歌も歌わないでしょ。「そうだよね。楽しんでいる?」
 そう思うね。いい景色になってきて、歌もひとつ、こしらえた。さらに、景色が変化して、雰囲気がぐっとよくなるかなと、歌を推敲していると…。「真っ暗になって、にっちもさっちも、行かなくなった。」 そう。…じゃ、ないかな。m(_ _)m。「m(_ _)m。」


歌心 察する馬の 背に乗りて

 稲野小学校前 能因法師歌碑。
 能因法師と言えば?「やっぱり…、実際は旅に出てないのに、行ったふりして、歌を詠んだんじゃないかというエピソード?」
 
 都をば かすみとともに 立ちしかど
  秋風ぞふく 白河の関
    (能因法師)
 
 そうだよね。話、面白いからね。でも、それほどの歌好きな人なら、ビチッと計算して組み立てたものより、考えも及ばぬ意外性を、常に求めていたような気がするね。「まぁ、普通に、旅行をしていても、想定外の出会に感動することってあるものね。」
 そこに導いてくれるのが、能因さんの乗っていた馬なんじゃないかな。「なるほど、歌心の分かる馬?」



寂しさを 訪ねてみれば 七五三

 東天神社。
 ここに、西行法師の歌碑がある。
 
 津の国の 芦のまろやの 寂しさは
  冬こそわけて 訪うべかりけれ
    (西行)
 
 で、まだ少し、冬には早いんだけど、訪れてみると…。「訪れてみると…。」
 七五三。「ほう〜。」可愛らしいね。お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、そして…。「そして?」



七五三 神も家族も 他人さえ

 東天神社。
 「なるほどね。みんな、明るくって、いいよね。」 神社自体も、明るさに、包まれているよね。
 この神社は、天神社とあるけど、祭神は菅原道真さんではなくて、伊邪那岐尊、伊邪那美命。「万物の生みの親、まさに天神様だね。」
 やはり、行基さんが、昆陽池ほか、幾つかのため池を造り、この地を開拓する際の、事業達成を祈願して祀られたそうだね。
 「西行さん、今なら、なんで詠むかな?」



近いよで 遠い国道 向こう側

 西天神社。
 「あ〜、また、望遠レンズを、不正に使っている人がいる!」 ふ、不正って、何よ!
 「遠くにある神社、遠回りしなければ行けない神社に対して、望遠で撮影して、行ったことにしてるよね?」
 そ、そ、そんなことは…。「最近は、遥拝、の、術も覚えたし。」 ぎ、ギクッ‼︎



この辺で 唯一未来も 残るかな

 田園ビオトープ。
 「まぁ、確かに、周りが空き地なく家々が立ち並んだとしても、ここだけは残るだろうね。」 しかも、昆陽南公園の中に組み込まれているからね。
 「昆陽里小学校って、書いてあるけど…。」 ん? 何?「ここ、出身といえば?」 さ〜。「ま〜くんこと、田中将大選手。」 えっ! そうだったの? ここ、伊丹の人だったの? 北海道か東北の人かと…。
 「中学は、その隣にある松崎中学校、そして高校が駒澤大学附属苫小牧、卒業後は東北楽天イーグルス。」 だから、そう、思うんだよね。「いやいや、みんな、知ってるって!」



こりゃすごい 思えば奥に ひっそりと

 閼伽井(あかい)。
 「確かに、水が、渾々と湧き出しているね。」 行基さんが、掘ったと言われている井戸だそうな。
 昆陽寺で、仏様や、墓前にも供えられるだけじゃなくて、西国街道を往来する旅人の喉も潤したとか。たいへん、霊験あらたかな水だそうな。
 「霊験あらたかな? ひょっとして、田中選手は、練習の帰りに、この水、飲んでた?」 まさかね。
 「ところで、この泉から、ちょっと離れたところに、石で四角く囲まれて、古札に閼伽井って、描かれたものがあるけど?」 えっ? ひょっとして、あっちが、あっち?



故郷を 忍ばす土地にて 安らかに

 正覚寺。
 ここには、夏目甕麿さんのお墓が、あるそうな。「…甕麿さんといえば、猿猴捉月、昆陽池の月を取ろうとして、池にはまった人?」
 そう。皇陵巡拝のために上方に出てきて、伊丹では、このお寺に身を寄せていたそうな。
 「えっ? でも?」 何? 「お寺に身を寄せてって、この先生、お酒好きじゃなかったっけ?」 そうだよね。しばらくお酒を絶ったから、その反動で、猿猴捉月に、なっちゃったのかな? 知らないけど。「おいっ!」



手を合わせ 過ぎ行くにせよ あまりにも

 昆陽寺前の高架道。
 「あれ〜、写真撮って、しばらく立ち尽くしているけど、ひょっとして、ここから遥拝して、済まそうとしてない?」 ─(゚Д゚)→ ギクッ‼︎
 半分高架の国道171号線の向こうに見えるのが、昆陽寺の山門の屋根…かな。「向こう側に行く道、無いのかなぁ?」 無いみたいだね。「おかしいよね。塔頭の成就院、正覚院は、こちら側にあるのにね。」



バイパスが 幅をとりても ひけとらず

 昆陽寺 山門。
 「すごく大きな山門だね。」 すぐ前を、側道二車線と本道四車線の産業道路国道171号線が、通っているけど、山門、大きく見えるよね。「存在感、あるね。」
 昆陽寺は、行基さんが、昆陽池を造るのと並行して、貧民救済の布施屋をつくったのが、最初らしいね。「国家鎮護や権威の象徴じゃないんだね。」
 その後、長く続くなかで、織田信長と荒木村重の戦いに巻き込まれ、全て消失。再建。
 また、阪神淡路大震災では、ほとんどの建物が、被災。再建や解体修理が、行われている。



見上げたる 山門くぐれば 青い空

 昆陽寺。
 巨大な山門をくぐると、さらに、とんでもない大きな伽藍があるのかと、思いきや…。「青い空?」
 こじんまりとした本堂、落ち着いた雰囲気、小さく並んで腰掛けている参拝のおばあさんたち。「いいね。聖域って感じ。」
 振り返ると…。山門をはさんで、まるで仁王さまのように立つ、巨大な銀杏の大樹。「見事だね。」
 その片方の足元には、碑があって…。「何の碑?」



願い事 かなえられしや 記念樹よ

 昆陽寺。
 公爵近衛文麿閣下参拝記念樹、って、あるね。「近衛文麿さんといえば、戦前の総理大臣。戦後A級戦犯に指名され、自殺したんだよね。」そうだね。
 「記念樹ってことは?」 推測だけど、地元では、大歓迎だったのかな? 昭和16年11月16日の訪問だったようだね。「それって? どう言う社会状況下?」
 第三次近衛内閣総辞職後、側近が関わるゾルゲ事件でゾルゲ他の一斉検挙のあった後、太平洋戦争開戦の前だね。「疲労困憊? 追い詰められていた? いまいち、雰囲気は、よく分かんないね。」
 ただ、伊丹は、江戸時代から近衛家の領地であり、伊丹の清酒が近衛家の庇護の下で、江戸にて下りものとして人気を博し、大量消費され、伊丹は発展したから、元の領主、大恩人だから、大歓迎だったんじゃないかな。
 「ここでは、何を願われ、植樹されたんだろうね。」



いつになく 眼光鋭き 赤ら顔

 昆陽寺。
 いやぁ〜、お久しぶりです、びんずる様!「こちらの賓頭盧様は、眼を、カッと見開いておられるね。」
 そう、目を逸らさず、私の目を見て、自分の考えていることを、言ってみなさい。自信を、持ちなさい、って、いう感じ。
 「いいね。びんずる様は。各お寺で、基本的には同じ格好をされているけど、語られる言葉は、皆、それぞれ異なるものね。」 そのとおりだね。いいね。



目が慣れて 無数の石仏 現れる

 昆陽寺。
 「確かに。よくよく見ると、沢山の石仏が、おられるね。手前のは、第二番極楽寺、阿波?」 四国八十八ヶ所だね。
 「そうか。この昆陽寺の境内に、八十八ヶ所の石仏が、おられるんだね。」 ここをお参りするだけで、四国の霊場を巡ったのと、同じ功徳があるということだね。
 「そういえば、西国街道の出発点、京都の東寺さんにも、あったよね。」 そうだね。毎月21日の弘法さんの日に、食堂の外回りに、四国八十八ヶ所の御本尊を描いた掛け軸と、霊場のお砂を置いてあったよね。
 一生に一度は巡礼を…と、思うけれど、なかなか行けず、せめて…と、言う人が、昔から本当に多いと言うことだね。



千二百 万年前から ここにいて

 甲武橋。
 「えっ? 千二百…年、じゃなくて、万年?」 そう。千二百万年前の火山が、火口周辺部だけ残して侵食されたみたいだね。
 「その頃って、日本列島は、今の形?」 いやいや、まだ、大陸の一部じゃないかな。というか、単に繋がっていただけじゃなくて、形的には、今の面影、ないと思うよ。
 「まったく、空いた口が塞がらないくらいの、昔だね。」 それが、今は、かわいらしい形になってね。この風景に、プチって後付けしたようにしか、見えないね。
 しかし、面白い山だね。「探したらある山、って言うよりも、目につくというか、向こうから飛び込んでくる山だね。」



武庫河原 象の野営も なんのその

 甲武橋。
 「何? 象の野営? 例の八代将軍吉宗さんの時の話?」 いやいや、あの時の象さんは、ここは通ってないね。
 ここで、野営したのは、16頭の象さん。「16頭…も…、一体、いつの話?」
 1970年の大阪万博にタイから象さんがやってきた。「なんと。」 その象さんたち、神戸で上陸して、なんと万博会場まで、パトカー先導のもと、一般の道を40キロ、歩いて移動。このとき、ここ、武庫川河川敷で、一泊したそうな。
 「へ〜、なんか、のどかな時代だったんだね。」 いやいや、沿道も河原も、すごい人だったみたいだよ。笑。



帰りしの 道中一頭 多くなり

 武庫川河川敷。
 「一頭多いって…、…、赤ちゃんが生まれたの?」 そう。「なんと、また、はかったような、話題提供だね。」
 万博会場には、約1カ月、いたそうな。「帰りしも、同じ道だったの?」 そのようだね。
 「象さんの寿命ってどれくらい?」 70年くらいだそうだね。「じゃ〜、このとき、生まれた象さんは、まだ、ギリギリ、いきてる?」 えっ? 1970 + 60 = 2030だから、生きてるね。なんか、すごいような、嬉しいような気がするね。



甲子園 小さい時に 応援し

 報徳学園。
 この学校、縁もゆかりもないけれど…。「ないけれど?」 小さい時に、甲子園の大会で、よく応援したなって。
 「そりゃ〜、ここは、名門だもんね。」 だから、なんか、感慨深いものがあるね。学校が、ここにあったのかって。なんか、歴史的な、名所に立ってる感じだね。
  ところで、この学校の横を通った時に、金次郎さんが見えたんだけど。「二宮金次郎さん?」
 立っていたところが、学校の鬼門にある駐車場の鬼門。なんか、勘違いされてない?「さ〜?」


2022.11.03.:
 阪急伊丹駅からスタート。駅周辺をまわって、再び駅からバスで昆陽池へ。昆陽池、瑞ヶ池、緑ケ丘公園、伊丹坂まで続く緑道を歩いて、西国街道に復帰。そこから、門戸厄神駅まで、てくてく。

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